ある日突然、米国勤務を命じられる。会社員である限り、そういう事態は避けられませんよね。米国駐在で意外と戸惑うのが、自動車整備。米国では日本でいう「車検」が無い代わりに「Smog Check」と呼ばれる自動車の排ガス検査があったりと、整備する上で細かな違いがあり、面食らうことがあります。

シリコンバレーで自動車整備工場を経営する浅田さん
シリコンバレーで自動車整備工場を経営する浅田さん

そんなときに助かるのが、日本人が経営している自動車整備工場。日本語で整備をお願いできるので、大きな間違いが起きず、何かと助かります。そんな日本人経営の自動車整備工場の1つが「Asada Auto」です。

「Asada Auto」のオーナー浅田さんは広島県の出身。1973年に渡米され、1985年に現在の地で Asada Auto をオープンされました。では、なぜ浅田さんはこの地でこの年に自動車工場をはじめられたのでしょうか?

オフィス内には広島の隣県、  山口県岩国市にある「錦帯橋」の写真が飾られています
オフィス内には広島の隣県、
山口県岩国市にある「錦帯橋」の写真が飾られています

■なぜ浅田さんはシリコンバレーで自動車整備工場を経営しているのか? その1:「バブル景気」

浅田さんが Asada Auto をオープンさせた翌年、日本は「バブル景気」に突入します。その数年前から日本企業の多くは駐在員をシリコンバレー地域に送り込みはじめており、その駐在員の方たちが「Asada Auto」の顧客となりました。このため、ビジネスは早い段階から軌道に乗ったそうです。

そう、浅田さんは、絶好のタイミング、絶好の場所で、自動車整備工場をスタートさせていたのです。

日本のバブル景気は1990年代の前半で終わりましたが、その後1990年代の後半にはシリコンバレーはハイテク景気に沸き、駐在ではなく米国企業に採用される日本人が増加します。この現地採用社員も浅田さんの顧客となりました。

現在では、シリコンバレー地域に巨大なビルを持つソフトバンク勤務の日本人の多くが浅田さんの顧客となっているそうです。

ソフトバンクのシリコンバレー拠点  ハイウェイ101から見える場所にあります
ソフトバンクのシリコンバレー拠点
ハイウェイ101から見える場所にあります

■なぜ浅田さんはシリコンバレーで自動車整備工場を経営しているのか? その2:「文化の壁」

「自分は英語は完璧だから、浅田さんの助けはいらない」

そう思う方もいるかもしれません。でも、言葉がわかっても、文化の違いという壁は意外と分厚いことがあります。

例をあげましょう。筆者の友人の1人は、シリコンバレーで米国人の経営する自動車整備工場を利用していました。ある日その友人は、スーパーの駐車場で後ろから来た車に突っ込まれ、愛車の左後ろのドアを壊されてしまったのです。

友人は、いつも利用している米国人経営の自動車整備工場に自動車を持ちこみ、修理を依頼。すると、工場のオーナーは友人にこう尋ねました。

「ちょうどぴったりのサイズのドアがあるんだが、それを取り付けてよいかい? 中古だけど、安いよ」

友人はそれに対し、「なんでもいいよ。安くあげて」と答えたのです。

修理されてきた自動車を見て、友人は驚きました。たしかにドアのサイズはぴったり。でも、その色は、ボディ色とは全く別のものだったからです。

ボディ色と異なる色のドアが取り付けられた自動車
ボディ色と異なる色のドアが取り付けられた自動車

これは、「なんでもいいよ」と言ってしまった友人のミス。米国でそう言えば、ドアは塗装されずに取り付けられてしまう可能性が高いのです。友人は英語は完璧だったのですが、こういった米国文化までは理解できていませんでした。

実際、米国人はボディ色とドア色が違っていることをあまり気にしません。道を走っていると、違った色のドアが取り付けられた自動車をわりとたくさん目にします。

このような自動車は、米国では珍しくありません
このような自動車は、米国では珍しくありません

このようなとき、自動車整備工場のオーナーが日本人だと安心です。日本人は、ボディ色とドア色が一緒でないと我慢できないことをよくわかってくれるので、問題が発生する可能性が少ないのです。

浅田オートは来年創業30周年。そろそろ引退も考えられているそうです。ですが、「もう何年かは頑張る」とおっしゃっているので、もし突然現地に駐在ということになった方は、浅田さんにコンタクトを取ってみられてはいかがでしょうか。

Asada Auto も、ハイウェイ101から見える場所にあります
Asada Auto も、ハイウェイ101から見える場所にあります